
純烈から脱退した2人のメンバーが、
今どこで何をしているのかご存知ですか。
特に、公には語られにくい「家族愛」にまつわる脱退と、グループに大きな影響を与えた「不祥事」による脱退。
その報道の裏側には、どのような真実が隠されているのでしょうか。
この記事では、純烈の激動の歴史を紐解きながら、主要な脱退メンバーである友井雄亮さんの「不祥事」の詳細と現在の焼肉店での活動、そして岩永洋昭さんが明かした
「一人娘との二度と戻らない時間を大切にしたい」
という「家族愛」に基づく決断と、純烈での過酷な活動実態について徹底解説します。
本記事を読むことで、純烈が直面した大きな変化をどのように乗り越え、現在酒井一圭さん、白川裕二郎さん、後上翔太さんの3人体制で活動を継続している現状と未来の展望、さらには彼らが掲げる「親孝行」というグループ理念の深層まで、深く理解を深めることができるでしょう。
彼ら一人ひとりの人間性やグループの強い絆、そしてそれぞれの「第二の人生」を知ることで、純烈という唯一無二の存在への理解がより一層深まります。
純烈の激動の歴史、脱退した2人の舞台裏に迫る
ソロでもグループでも、
新曲でも昔の曲でも、ぜひ純烈の曲で応募してみてください️
歌が下手とか自信ないとか、
マジで関係ないから
一生の記念になるから、間違いなく。
応募することが大事#純烈#酒井一圭#白川裕二郎#後上翔太 pic.twitter.com/Xk04AyAsbU
— 日本クラウン【クラウンランド】 (@CRcrownland) July 29, 2025
「親孝行、紅白歌合戦出場、全国47都道府県で唄うこと」。
この明確な目標を掲げ、2007年に結成されたムード歌謡コーラスグループ「純烈」は、まさに激動の道を歩んできました。
結成以来、数々の試練を乗り越え、メンバーの加入と脱退を繰り返しながら、独自の存在感を確立しています。元戦隊ヒーロー俳優を中心とした異色の経歴を持つメンバーたちは、メジャーデビュー後も地道に全国の健康センターやスーパー銭湯で歌い続け、やがて「スーパー銭湯アイドル」として幅広い層から支持される存在となっていったのです。
2018年には悲願であったNHK紅白歌合戦への初出場を果たし、その後も連続出場を続けている純烈。しかし、その輝かしい歴史の裏には、メンバーそれぞれの人生と向き合った「脱退」という大きな決断が隠されているのです。
グループ結成から度重なるメンバー交代の軌跡
純烈は、リーダーの酒井一圭さんの発案によって2007年に誕生しました。
当初は酒井さん、白川裕二郎さん、小田井涼平さん、林田達也さん、友井雄亮さん、後上翔太さんの6人体制で活動を開始しています。
その道のりは決して平坦なものではありませんでした。メジャーデビューを果たしたものの、一度はレコード会社との契約を打ち切られるなど、崖っぷちの状態を経験しています。
しかし、メンバーは諦めず、歌える場所を求めて老舗キャバレーや健康センター、スーパー銭湯など全国各地の温浴施設を地道に回り、ファンとの絆を深めていきました。
その結果、熱心なファン層を築き上げ、やがてメディアからも注目されるようになり、「スーパー銭湯アイドル」としての地位を確立するに至ったのです。純烈のメンバーは平均身長183cmを超える長身揃いであり、そのルックスと親しみやすいキャラクターが多くのファンを魅了しています。
グループの成長と共に、メンバーの変遷も純烈の歴史の一部となりました。結成当初の6人体制から、現在に至るまでに複数のメンバーが入れ替わっています。それぞれの脱退には、個人的な理由やグループの方向性など、様々な背景が存在しました。
親孝行を体現した林田達也の脱退とその後の道
純烈にとって最初のメンバー交代は、2016年12月31日の林田達也さんの脱退でした。
林田さんは、1998年から2000年にかけてヴィジュアル系ロックバンド「BLue-B」のボーカルとして活動していたという、純烈の中でも珍しい音楽活動経験を持つメンバーです。純烈では主にコーラスを担当していました。
彼の脱退理由は、
「父親の体調が芳しくなく、サポートしたい」
という親の介護のためでした。
純烈が「親孝行」を目標の一つに掲げていることを考えると、彼のこの決断は、まさにグループの理念を体現するものだったと言えるでしょう。
彼はグループがメジャーデビューから7年目を迎え、活動が安定してきた時期にこの決断を下したのです。林田さんは現在、宝石デザイナーとして新たな人生を歩んでいます。2024年11月25日に行われた純烈初の日本武道館公演では、サプライズでステージに登場し、初期曲を披露。そのキレのあるパフォーマンスでファンを大いに沸かせました。
純烈を揺るがした友井雄亮の「不祥事」と現在の活動
次に純烈に大きな衝撃を与えたのは、2019年1月11日の友井雄亮さんの脱退です。
友井さんは、純烈の初代メンバーであり、コーラスとダンスを得意としていました。彼の脱退は、一部週刊誌による報道がきっかけでした。
報道された内容は、過去の交際女性に対するドメスティック・バイオレンス(DV)、約3000万円の金銭トラブル、そして不倫といった「不祥事」でした。友井さんは報道後すぐに単独記者会見を開き、週刊誌に書かれた女性トラブルが事実であることを認め、「殴ったり、蹴ったり、相手を思いやる気持ちがなかった」と謝罪し、純烈の脱退と芸能活動からの引退を表明しています。
この出来事は、純烈にとって「最も困難な時期」であり、グループに大きな試練をもたらしました。
リーダーの酒井さんは当時を振り返り、「今やもうアレですけど当時は大変でした」と回想しています。
しかし、残されたメンバーは結束を固め、この危機を乗り越えました。酒井さんは、不祥事の直後は友井さんと一切会わなかったと明かしていますが、友井さんが焼肉の修行をしていると聞いてからは、彼がオープンした焼肉店を訪れるなど、現在では交流があることを語っています。
友井さんは現在、出身地である大阪で焼肉店「神威」の店長として、本名の牧山雄亮として「第二の人生」を歩んでいます。彼もまた、2024年の日本武道館公演にサプライズで登場し、往年のキレのあるダンスを披露してファンを驚かせました。
「家族愛」を優先した岩永洋昭の決断と過酷な純烈の活動
小田井涼平さんの卒業後、純烈は新たなメンバーとして岩永洋昭さんを迎え入れ、2023年1月1日から再び4人体制となりました。
岩永さんは「仮面ライダーオーズ」への出演経験を持つ俳優であり、純烈の映画「スーパー戦闘 純烈ジャー」にも出演していた縁がありました。身長187cmという長身で、純烈初のワイルド系イケメンとしてファンに親しまれていました。
しかし、岩永さんの純烈としての活動期間は、わずか2年3ヶ月という短さで終わりを告げることになります。
2025年3月末をもっての卒業が発表されたのです。岩永さん自身が語った卒業理由は、「家族と過ごす時間がなくなっていたことを自分なりに今一度考えた結果」であり、特に「一人娘との二度と戻らない今の時間をどう過ごすかを考えたのが最大の要因」でした。彼は母子家庭で育ち、近親者を若い年齢で亡くした経験が、自身の人生と残された時間について深く考えさせるきっかけとなったそうです。
純烈の活動は、年間数百回ものステージをこなし、全国を飛び回る非常に過酷なスケジュールで知られています。
酒井さんも今年初めに行った取材で
「正直、ちょっと純烈を休もうみたいな気持ちもある。もう純烈も…くたびれてるからね」
と明かしたことがあり、岩永さんも
「家族がおる人は、やっぱりしんどいやろうな」
と酒井さんの心情に理解を示していました。メインボーカルの白川裕二郎さんも
「岩永…早いよ」
と率直な心境を明かしつつも、彼の決断を尊重する姿勢を見せています。
岩永さんは加入当初、歌やダンスに苦手意識を持っていたものの、家族のためにストイックに努力を重ねてきました。酒井さんは、岩永さんの加入によって純烈は十分に話題になったとし、「純烈を踏み台にしていけばいい」とまで語り、彼の新たな道を応援する温かい言葉をかけています。岩永さんは純烈卒業後も所属事務所に残り、俳優業を続ける予定です。彼は3月31日に行われた大分県別府市での「純烈コンサート」をもって純烈を卒業しました。
小田井涼平の「人生の節目」としての卒業
岩永洋昭さんの加入直前の2022年末には、小田井涼平さんがグループを卒業しています。
小田井さんは、純烈結成当初からのメンバーであり、グループのコーラスを支えてきました。彼の卒業理由は、50歳という年齢を人生の節目と考え、自身の人生設計を見直したためでした。
体力的にも地方公演が多い純烈の活動は厳しく、「足を引っ張るのは嫌やなと思った」と率直に語っています。また、「定期的に自分のやっていることをぶっ壊したくなる時がある」という、新たな挑戦への意欲も卒業の大きな理由だったとされています。
小田井さんは「仮面ライダー龍騎」に出演した元戦隊ヒーローであり、機動戦士ガンダムSEEDの声優としても活躍していました。
彼は脱退後も純烈とは事務所が変わらないとし、これまでの経験が今後の活動に生きると語り、ファンに前向きにとらえてほしいと呼びかけていました。
現在も妻のLiLiCoさんと共にメディアで活躍を続けています。2024年の武道館公演にはスケジュールの都合で参加できませんでしたが、公演直前にX(旧Twitter)で祝福のメッセージを送り、純烈メンバーとの深い絆を示しました。
純烈の現在:3人体制と未来への挑戦
岩永洋昭さんの卒業により、純烈は2025年4月1日から酒井一圭さん、白川裕二郎さん、後上翔太さんの3人体制で活動を継続することになりました。
リーダーの酒井さんは、当面は新メンバーを加える予定はないと明言しており、
「また増やすとロクなことがない」
とまで語っています。
4月1日にはNHKの「うたコン」に出演し、3人組の先輩グループ・シブがき隊の「NAI・NAI 16」を踊りながら歌唱し、新たなスタートを切りました。
純烈は、これまで多くのメンバーの入れ替わりを経験しながらも、グループとしての目標を着実に達成してきました。
7年連続での紅白歌合戦出場を果たし、2024年11月25日には純烈単独として過去最大規模となる日本武道館公演も成功させています。武道館公演では、脱退した林田さんや友井さんもサプライズで登場し、会場は感動と興奮に包まれました。
彼らは新たな目標として
「10年連続 紅白歌合戦出演」
「2027年 大阪城ホール」
「2028年 2度目の日本武道館」
を掲げており、今後も精力的に活動を続けることが期待されます。
スーパー銭湯での活動も変わらず続けており、ファンとの距離を大切にする姿勢は揺るぎません。
純烈は、すべてのメンバーがそれぞれの場所で幸せになることを願いながら、これからも「純烈道」を歩んでいくことでしょう。
純烈を脱退した2人:友井雄亮の「不祥事」詳細と焼肉店での今
【情報解禁】
本日
牧山雄亮さん(友井雄亮)
のお店北新地 神威さんにお邪魔しました。
とて美味しかったです✨
そして、ワテクシのYouTubeチャンネルに出演していただきました!
まさか撮影許可が出るなんて…
※内容エグいです。#仮面ライダーギルス pic.twitter.com/1LwIf6kv3P
— ICHINOSE HAYATO (@ICHINOSE_P) August 5, 2023
ムード歌謡コーラスグループとして多くのファンに愛されている純烈は、2007年の結成以来、
「親孝行、紅白歌合戦出場、全国47都道府県で唄うこと」
という目標を掲げながら活動を続けてきました。
2018年の紅白歌合戦初出場という長年の夢を叶えてからも、彼らは常に変化と成長を遂げています。しかし、その歩みの中で、幾度かのメンバー交代を経験し、特に友井雄亮さんの脱退は、グループにとって大きな試練となりました。この記事では、友井さんの「不祥事」の詳細と、現在の彼の人生、そしてもう一人の元メンバーである林田達也さんの脱退理由について詳しくご紹介いたします。
グループ初期を支えた友井雄亮
友井雄亮さんは、純烈が結成された2007年からのオリジナルメンバーの一人でした。
グループではコーラスとダンスを担当し、そのパフォーマンスで多くの観客を魅了していました。彼は14歳から約4年間ジャニーズ事務所に所属し、元関西ジャニーズJr.としても活動していました。
ジャニーズ退所後は俳優に転身し、「仮面ライダーアギト」や朝の連続テレビ小説「ちりとてちん」など、数々の作品に出演した実力派の俳優だったのです。
衝撃を与えた「不祥事」の全貌
2019年1月11日、純烈にとって衝撃的な出来事が起こりました。
一部週刊誌による報道で、友井さんの過去のプライベートな問題が明るみに出たのです。
報道された内容は、過去の交際女性へのDV(ドメスティック・バイオレンス)、3000万円の使い込み、不倫といった深刻なものでした。
報道を受け、友井さんは同日に単独記者会見を開き、報じられた女性トラブルが事実であることを認めました。彼は会見で、「殴ったり、蹴ったり、相手を思いやる気持ちがなかった」と自身の行為を謝罪しました。この会見をもって、友井さんは純烈からの脱退と、芸能活動からの引退を表明したのです。 純烈は2018年末に悲願の紅白歌合戦に初出場したばかりで、そのわずか約10日後の出来事でした。リーダーの酒井一圭さんは当時のことを振り返り、「今やもうアレですけど当時は大変でした」と語っています。
この困難な状況にもかかわらず、残された酒井さん、白川裕二郎さん、後上翔太さん、小田井涼平さんの4人は活動を継続することを決意しました。
酒井さんは、問題発覚直後は友井さんと「一切会わずやったんですけど」、その後、友井さんが焼き肉の勉強をしていると聞いていたため、2年半後に焼き肉店が安定した際に訪れ、大阪での純烈公演の際には物販にも友井さんが来てくれたと明かしています。
また、メンバー間の「不仲説」については、「ぼくらも見ながら笑っていますけど、興味ないくせにコメントだけするな」と苦言を呈し、メンバー同士の関係が良好であることを強調していました。
友井雄亮の新たな人生:焼肉店「神威」の店長として
芸能界を引退した友井雄亮さんは、現在、故郷である大阪の北新地で、自身の焼肉店「神威(かむい)」の店長として「第二の人生」を歩んでいます。
彼の本名である牧山雄亮として、新たな道を切り拓いているのです。
純烈のメンバーは、友井さんのこの新たな挑戦を陰ながら見守り、時にはサポートを続けていることがうかがえます。酒井さんが彼の店を訪れたり、大阪公演の際に友井さんが物販に顔を出したりと、直接的な交流も生まれました。
これは、過去の困難を乗り越え、互いの人生を尊重し合う彼らの絆を示すものと言えるでしょう。
もう一人の脱退メンバー、林田達也の決断
友井さん以外にも、純烈は林田達也さんの脱退を経験しています。
林田さんは純烈の結成メンバーの一人であり、グループの中では珍しく、元々ビジュアル系ロックバンド「BLue-B」のボーカルとして音楽活動の経験がありました。
林田さんの脱退は2016年12月31日で、その理由は彼の「親の介護」でした。父親の体調が思わしくなく、彼をサポートしたいという強い思いから、グループを離れる決断を下したのです。
純烈が「親孝行」を目標の一つに掲げているグループであるため、メンバー全員が彼の決断を尊重し、温かく送り出しました。
林田さんは現在、宝石デザイナーとして活動しており、2024年11月に行われた純烈の日本武道館公演では、元メンバーとしてサプライズ出演し、ファンを大いに沸かせました。
メンバーの絆と純烈の歩み
純烈は、林田さんの親孝行のための脱退や、友井さんの不祥事による脱退といった、幾度もの困難に直面してきました。
しかし、彼らはその都度、メンバー同士の強い絆と、ファンへの感謝の気持ちを胸に、前向きに活動を続けてきました。 2022年末には小田井涼平さんが卒業し、2023年1月に岩永洋昭さんが新メンバーとして加入しましたが、岩永さんも2025年3月末でグループを卒業しました。
岩永さんの卒業理由は、多忙な純烈の活動と家族との時間のバランスを考えた結果であり、個人的な事情を尊重した円満な卒業でした。
現在、純烈は酒井一圭さん、白川裕二郎さん、後上翔太さんの3人体制で活動を継続しています。酒井さんは「新メンバーを入れることはないです。
また増やすとロクなことがない」と語り、当面は3人での活動が続くことを示唆しています。彼らは、デビュー15周年を迎える2025年に向けて、明治座、新歌舞伎座、御園座での座長公演を控えるなど、さらに精力的な活動を予定しています。
過去の経験を糧に、純烈はこれからも「夢」に向かって歩み続けることでしょう。
純烈を脱退した2人:岩永洋昭が明かす「家族愛」と過酷な活動
【公式Youtubeより】3月31日純烈4人最後の日 卒業の岩永洋昭「実感がない」別府市制100周年事業に登場
▼動画はこちらhttps://t.co/h2lPoUOqQ9 pic.twitter.com/n0vsxUXH92— TOS テレビ大分ニュース (@TOS_hodo) April 8, 2025
純烈は、その輝かしい道のりの中で、グループは複数のメンバー交代を経験してきました。
特に2023年に加入し、2025年3月末をもってグループを卒業した岩永洋昭さんの脱退は、その短い在籍期間ながらも、純烈の過酷な活動と、メンバーそれぞれの人生における大切な価値観を浮き彫りにする出来事となりました。
純烈に加入した岩永洋昭:新たな風と期待
岩永洋昭さんは、純烈が紅白歌合戦に5年連続出場を果たし、人気を不動のものにしつつあった2023年1月に新メンバーとして純烈に加わりました。
これは、2022年末にグループを卒業した小田井涼平さんの後任としての加入でした。岩永さんは、身長187cmという恵まれた体格を持つワイルド系のイケメンとして、グループに新たな魅力を加えました。
彼の経歴は純烈の他のメンバーと同様、俳優業を主としており、「仮面ライダーオーズ」への出演経験もある元戦隊ヒーローです。純烈の主演映画「スーパー戦闘 純烈ジャー」にもザウナ役として出演していたことから、グループとの縁が深かったことがうかがえます。
リーダーの酒井一圭さんは、新メンバーの選考にあたり、ルックスよりも人柄、金銭感覚、そして家族の理解を重視していたと語っており、岩永さんの温厚な人柄が決め手になったとされています。加入当初、歌やダンスは初心者だった岩永さんでしたが、ストイックに練習を重ね、純烈の活動に尽力していました。彼が加入したことで、純烈は再び4人体制となり、ファンからも大きな期待が寄せられていました。
過酷な活動の現実:家族との時間の犠牲
しかし、岩永さんの純烈での活動はわずか2年3か月という短期間で幕を閉じることが決定しました。
その背景には、純烈の極めて多忙で過酷なスケジュールがありました。
純烈は「スーパー銭湯アイドル」という独自の地位を確立し、年間数百回に及ぶステージを全国各地でこなしています。
その活動範囲は、兵庫、大阪、茨城、栃木、群馬、愛知、山口、福井、東京といった全国各地のコンサートやライブに及び、それらの合間にテレビ出演やラジオ出演、イベント出演もこなすという、まさに休む間もない日々でした。このような過酷なスケジュールは、メンバーの体調にも影響を及ぼすほどで、実際、リーダーの酒井さん自身も昨年体調を崩し、大事なコンサートを3人で行う緊急事態に見舞われたこともありました。
酒井さん自身も「正直、ちょっと純烈を休もうみたいな気持ちもある。もう純烈も…くたびれてるからね」と本音を漏らしたことがあるほど、その活動は肉体的にも精神的にもハードなものであったのです。岩永さんも、加入当初は苦手意識があった歌やダンスに、家族のためにと懸命に取り組んでいましたが、なかなか上達しないことに悩むこともあったと報じられています。
家族への深い愛と決断
岩永さんが純烈からの卒業を決意した最大の要因は、彼の深い家族愛にありました。
彼自身が公表したコメントによると、
「家族と過ごす時間が無くなっていた事を自分なりに今一度考えた結果、今回の決断に至りました」
というものでした。
岩永さんは、母子家庭で育ち、数年前に母親を亡くしているという生い立ちから、家族への思いが人一倍強かったとされています。特に、彼の一人娘がまだ小学2年生(発表当時)という多感な時期であることも、その決断を後押ししました。娘を寂しい思いにさせたくないという父親としての強い願いが、多忙な純烈の活動との両立を難しくしたのです。
純烈が結成以来「親孝行」を目標の一つに掲げているグループであるからこそ、岩永さんの家族を優先する決断は、グループの理念にも通じるものがありました。
リーダーの酒井さんも、岩永さんの思いに深く共感し、「人生一度きりだし、娘さんのところにいてあげたいという気持ちは痛いほどわかる」と、彼の決断を尊重する姿勢を示しました。
メンバーの理解と揺るぎない絆
岩永さんの卒業発表は、ファンはもちろんのこと、メンバーにとっても大きな驚きであり、寂しさを伴うものでした。
しかし、純烈のメンバーたちは、岩永さんの決断に対し、温かい理解とエールを送っています。
酒井さんは、岩永さんの卒業について
「何の問題もない」
「岩永はもう仕事をしている。純烈を踏み台にしていけばいい」
と、彼の新たな道を後押しする言葉を贈りました。
これは、純烈がこれまでもメンバーの人生の節目や困難な状況に寄り添ってきたグループとしての強固な絆を物語っています。
メインボーカルの白川裕二郎さんは、「岩永…早いよ」と率直な寂しさを吐露しつつも、「自分で決めた事」「最後まで純烈を楽しんで!そしてファンのみんなに笑顔を最後まで届けておくれ」と、岩永さんへの愛情と応援のメッセージを送りました。
また、最年少の後上翔太さんも、「岩永さんの中で様々な葛藤があったのは隣にいて分かったけれど、いつも精一杯を出し切っていた姿を見てずっと尊敬していました。
そんな岩永さんの下した決断、仲間として心の底から尊重したいと思います」と、深い理解を示しました。 ネット上では、メンバー交代があるたびに「不仲説」が囁かれることもありましたが、酒井さんはこれに対し「ぼくらも見ながら笑っていますけど、興味ないくせにコメントだけするな」と苦言を呈し、メンバー間の良好な関係性を強調しました。
彼らは、グループの活動を「コンビニの店長さんとレジ打ちのような関係」と例え、辞める人も在籍する人も、皆が幸せになることを願っていると語っています。
この言葉からは、純烈が単なるビジネス上の関係を超え、互いの人生を尊重し、支え合う「家族」のような存在であることが伝わってきます。
岩永洋昭の新たな道と純烈の未来
純烈を卒業した岩永洋昭さんは、今後も現在の所属事務所であるG-STAR.PROに所属し、俳優業を中心に活動を続ける予定です。
すでに個人のファンクラブの立ち上げも予定されており、彼の新たなキャリアが期待されています。
岩永さんは、2024年11月に行われた純烈初の日本武道館公演にも、脱退した林田達也さんと共にサプライズ登場し、初期の楽曲を披露して観客を沸かせました。
この共演は、グループを離れてもなお、彼らの間に深い絆が存在していることを示しています。 一方、純烈は岩永さんの卒業後、酒井一圭さん、白川裕二郎さん、後上翔太さんの3人体制で活動を継続しています。
酒井さんは、「新メンバーを入れることはないです。また増やすとロクなことがない」と断言しており、当面は3人での活動が続くことを示唆しています。
純烈は、2025年にデビュー15周年を迎え、明治座、新歌舞伎座、御園座での座長公演を控えるなど、精力的な活動を展開していく予定です。
過去の経験を糧に、純烈はこれからも「夢」に向かって、前向きな歩みを続けていくことでしょう。
純烈の現在:3人体制と未来への挑戦|脱退した2人を超えていけ
【純烈スーパー銭湯!!】
番組では純烈への疑問・質問
コンサートや楽曲の感想
あなたの面白エピソード報告、、、その他コーナーへの投稿も
お待ちしていますjunretsu@24.am#純烈 #純烈銭湯 pic.twitter.com/qYJdNYhfxF
— 純烈・スーパー銭湯!! (@junretsusento) April 7, 2025
ムード歌謡グループ「純烈」は、そのユニークな存在感と「スーパー銭湯アイドル」という愛称で、多くのファンを魅了してきました。
彼らは2007年の結成以来、「親孝行、紅白歌合戦出場、全国47都道府県で唄うこと」という目標を掲げ、着実に夢を叶えてきたグループです。
その道のりでは、数々のドラマとメンバーの交代劇がありました。特に2025年3月末に岩永洋昭さんがグループを卒業し、純烈は再び3人体制での活動を開始しています。
純烈の現在:揺るぎない絆と新たな3人体制
岩永洋昭さんの卒業発表後、純烈は酒井一圭さん、白川裕二郎さん、後上翔太さんの3人体制で活動を継続しています。
リーダーの酒井さんは、当面は新メンバーを加える予定はないと明言しています。
純烈のメンバー間の絆は非常に強く、過去のメンバー交代時にも「不仲説」が囁かれることがありましたが、酒井さんはこれに対して「興味ないくせにコメントだけするな」と苦言を呈し、メンバー間の良好な関係性を強調しました。
彼らは、グループの活動を「コンビニの店長さんとレジ打ちのような関係」と例え、辞める人も在籍する人も、皆が幸せになることを願うという姿勢を一貫して示しています。
この言葉は、純烈が単なる仕事仲間を超えた「家族」のような関係であることを物語っています。 脱退したメンバーとの関係性も、純烈の絆の深さを象徴しています。
2024年11月に行われた純烈初の日本武道館公演では、脱退した林田達也さんと友井雄亮さんがサプライズ登場し、初期の楽曲を披露して観客を沸かせました。
酒井さんは、彼らを武道館に呼びたかったものの、自分からは言えなかったと明かし、脚本・演出スタッフがその気持ちを汲んでくれたことに感謝の念を述べています。
この共演は、グループを離れてもなお、彼らの間に深い友情と尊重があることを示しました。
未来への挑戦:3人体制で更なる高みへ
純烈は、3人体制となってもその勢いは衰えることなく、未来に向けてさらなる挑戦を続けています。
彼らの目標には、
「10年連続紅白歌合戦出演」
「2027年大阪城ホール」
「2028年2度目の日本武道館」
といった具体的な目標が掲げられています。
2025年は純烈にとってデビュー15周年を迎える記念すべき年であり、精力的な活動が予定されています。
座長公演の連続開催:2025年1月には明治座、2月には新歌舞伎座で、そして11月には御園座で座長公演を行うことが決定しており、これは純烈にとって初の「1年で三座での座長公演」となります。
これらの公演では、チェッカーズの藤井フミヤさんと藤井尚之さんによる兄弟ユニットF-BLOODが制作した新曲「奇跡の恋の物語」も披露されています。
賞の受賞:2025年3月には、第39回日本ゴールドディスク大賞で「ベスト・演歌/歌謡曲・アーティスト」を受賞しました。これは、9年連続受賞していた氷川きよしさん以来の快挙であり、純烈が日本の音楽シーンで確固たる地位を築いている証拠と言えるでしょう。
地域貢献活動:大分県別府市から「ツーリズム別府大使」を委嘱されたほか、能登半島地震で被害を受けた石川県七尾市の和倉温泉の「復興応援団」にも任命されるなど、地域活性化にも積極的に貢献しています。
純烈は、結成以来の「親孝行」という目標を大切にし、ファンや関係者への感謝の気持ちを忘れずに活動を続けています。
メンバー交代という変化を乗り越え、より一層結束を固めた3人体制の純烈は、これからも独自の「純烈道」を歩み続け、新たな歴史を築いていくことでしょう。
彼らの今後の活躍から目が離せません。